トンイは実話?モデルは実在した淑嬪(スクピン)!その生涯とは?

とっても可愛くて正義感の強いトンイが主人公になった韓国ドラマ『トンイ』。

このドラマを見た人の中には、「このドラマって本当にあった話?トンイって実在する人物なの?」

そんな風に疑問に思ってしまう方もたくさんいらっしゃるのではないかと思うので、今回はトンイの物語が実話なのか?また、トンイは実在したのか?そして、トンイのモデルだと言われている、実在した淑嬪(スクピン)について調べてみました。

ドラマ『トンイ』の復習をしたい方は、こちらの記事に感想と見どころを書いていますので、是非覗いていってください。

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トンイは実話?

結論から言うと、トンイは実話ではなく物語の大部分が創作されたものです。

そして、トンイも実在はしません

とは言っても、実はトンイという人物は、実在する淑嬪崔氏(スクピン・チェシ)と言う歴史上の人物がモデルとなっています。

「トンイ」と言う名前はこのドラマのために作られた架空のものです。

そうは言ってもやっぱり気になりますよね?

では、モデルとなった淑嬪(スクピン)はどんな人だったのでしょうか?

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トンイのモデルとなった実在した淑嬪(スクピン)はどんな人?

トンイのモデルとなった淑嬪は、李氏朝鮮第19代王・粛宗(スクチョン)の側室であり、21代王・英祖(ヨンジョ)の母です。

1670年に生まれ、1718年3月9日に死亡しています。年表によると、日本では江戸時代の頃を生きた女性です。

彼女が宮廷に上がるまでの事は記録が殆ど残っていないそうなので、物語の中で剣契の父と兄が濡れ衣を着せられ殺されてしまった事や、宮廷に上がるまでのストーリーは作られたものとなります。

ある説によると

淑嬪は7歳の頃に洗濯や雑事をする担当係として宮廷入りした。

とあり、また別の説によると、

粛宗の2番目の王妃になった仁顕王妃の父親が、孤児になった淑嬪を不憫に思い育て、娘が正室が決まった時に淑嬪も付き人として宮廷に入れた

という説もあります。

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トンイのモデルとなった実在した淑嬪(スクピン)の生涯は?

宮廷に上がってからは、1689年に仁顕王妃が廃位され、禧嬪(ヒビン:粛宗の側室)が王妃になった後、淑嬪は粛宗の寵愛を受けて承恩尚宮になります。

そしてその後、第一子の男子を生みますが2か月で亡くなってしまいます(ドラマの中でも描かれていますね)。

さらに数年後の1694年、淑嬪が24歳の時に、後の朝鮮21代王となる英祖を生みます。

実はこれだけではなく、1695年(淑嬪が25歳)の時、さらに子を生みますが生後3日で亡くしています。

淑嬪は実際には3人生んだという事になりますね。

1699年には29歳で嬪の位に昇格して淑嬪となりました。

1701年から淑嬪房と呼ばれる所に移り住んだのですが、1711年には粛宗が淑嬪に息子(後の英祖)のところで母子一緒に暮らすように命令を下しています。

そんな彼女は1716年頃から病気がちになり1718年、夫・粛宗より先に享年48歳で亡くなってしまいました。

48歳というと、今考えると若くして亡くなったという感じがありますが、その当時としては決して早死ではなかったみたいですね。

ちなみに粛宗は59歳でこの世を去っています。

淑嬪の死後は、京畿道坡州市にある昭寧園(ソリョンウォン:소령원)に祀られました。

淑嬪の宮廷での暮らしぶりなどの記録はほどんど残っていないそうなので、謎に包まれた女性とも言えます。

そして、ドラマ「トンイ」の中に登場する主な人物は実在した人達ですが、年譜の上では物語の中の出来事とは順番にズレがあるみたいです。

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 トンイのモデル実在した淑嬪は実は悪女だった?

「トンイ」での禧嬪、淑嬪、仁顕王妃

さらに、ドラマ「トンイ」の中の淑嬪の明るく前向きな生き方とは別に残念ながら「悪女説」があるのも確かです。

仁顕王妃が病死をした時、淑嬪は「禧嬪が王妃を呪い殺した」と王に告発したと言われています。

しかも、王妃が亡くなって40日も経った後の事です。

これは淑嬪が自分の立場が優位になるように裏で何か策略があったのでは?と推測されています。

結局はこの淑嬪の告発によって、三代悪女と言われた禧嬪が服毒により処刑された事へと繋がります。

もしかすると本当の悪女は禧嬪ではなく、淑嬪だったのではないか?とも言われているようです。

この時の出来事は別のドラマの「チャンオクチョン」の中で描かれていますよ。

チャンオクチョンのなかで、淑嬪は悪女として描かれていますので、これはトンイのファンにとっては大変ショックかもしれませんね。

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トンイは実話?モデルは実在した淑嬪!その生涯とは?まとめ

他に記録に残る限りでは、淑嬪は王や王妃だけでなく他の側室たちにまで気を遣い穏やかに振る舞う女性、逆に言えば生き延びるために周囲の目を気にして人付き合いが上手かったとも言われています。

第21代英祖の系譜の中に生母として書かれていた貴重な記録ですが、それさえ無ければ殆ど世に知られない存在だったかもしれないトンイのモデルとなった淑嬪は、知れば知る程、謎の多い人物です。

出来る事ならタイムスリップをしてどんな女性だったのか会ってこの目で確かめてみたくなってしまうのは私だけでしょうか。

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