ヨ・ジングさん主演の『王になった男』は、ヨ・ジングさんが1人2役を完璧にこなし、大変見ごたえがあることでとても話題になりました。
また、イ・セヨンさんが瓜二つの王とハソンの間で揺れる王妃を演じ、ドラマに花を添えました。
この王と王妃にまつわる『王になった男』は実話なのか?違うのか?
時代劇は「実話かフィクションか」が気になりますよね。
今回は『王になった男』が実話か作り話か、また王イ・ソンは実在したのかについて調べて行きたいと思います。
王になった男は実話?
結論から言うと、『王になった男』はフィクションです。
作り話なのですが、モデルになった実在した王がいます。
その王に絡めて、王(イ・ソン)にそっくりな男(ハソン)を宮廷に入れ、王のフリをさせるという、とても興味深い話になっていますね。
『王になった男』のあらすじと感想は別の記事に書いています。
また、見事な1人2役を演じた、子役から活躍しているヨ・ジング君のプロフィールはこちらです。
それでは、『王になった男』のモデルとなった、実在した王とは誰なのでしょうか?
王になった男の実在するモデルは誰?
ドラマ『王になった男』のモデルとなった実在した王は、第15代王光海君(クァンヘグン)です。
光海君(クァンヘグン)と言えば思い浮かぶ方もいると思いますが、ソ・イングクさん主演の『王の顔』も光海君をモデルとして描かれており、その他の登場人物もほぼ実在する人物でドラマが描かれています。
王の顔 コンパクトDVD-BOX1<スペシャルプライス版> 【DVD】
こちらのドラマもとても面白いドラマで、登場人物や起きた出来事も根本的に史実に沿って描かれています。
光海君については上の記事に詳しく書いているので、ここでは軽く紹介します。
第15代王になった光海君は、宣祖の二男(兄は臨海君)として1575年6月4日に生まれました。
光海君の父である宣祖は、日本で戦国武将として有名な豊臣秀吉が朝鮮に侵攻した文禄の役の時の武将でしたが、宣祖はあろう事か都と民を捨てて逃げてしまったため、光海君が代わりに義兵を励まし武勲をあげました。
長男の臨海君が王位を継承するのが原則でしたが、光海君のほうが力量的にも兄より優っている事から次の王にふさわしいと世間から認められたのです。
そんな活躍者の光海君でしたが、一方で「暴君あるいは策略家」と呼ばれる顔を持っています。
それは、当時8歳の腹違いの弟を、オンドル(床暖房)の部屋に閉じ込めて焼死させるという最も残酷な殺し方で殺したり、光海君の臣下たちが反対派閥が支持していた光海君の兄である臨海君を殺してしまったことからそう言われています。
しかし一方で、政治の面だけ見ると「暴君」と呼ぶより反対に、とても多くの功績を残した人物として再評価されていると言います。
延世(ヨンセ)大学教育大学院歴史学科修士ソル・ミンソク講師が、インタビューで実際の光海君について説明してくれたので、光海君の功績をご紹介しますね。
『王になった男』実在するモデルである光海君の功績
延世(ヨンセ)大学教育大学院歴史学科修士ソル・ミンソク講師は、
「光海君の評価が極端なのは、歴史というものが時代精神を反映するからだ。現在の学会では、光海君が腹違いの弟を殺したというような過ちを隠そうとしているわけではないが、再評価されるべき人物であるということには同意する傾向だ。蔑むには、あまりにも多くの業績を残した人物だ」
と言っています。
では、光海君が残した功績とは何でしょうか?一つずつご紹介します。
王になった男 DVD-BOX1 [ ヨ・ジング ]
戦乱の収拾/『王になった男』実在モデル光海君の功績
1つ目は戦乱の収拾です。
壬辰倭乱(文禄の役の朝鮮側からの呼称)が起こった当時、父親であり先代の王である宣祖が鴨緑江(アムノッカン)の近くに逃げ、急いで皇太子に定めたのが光海君でした。
国王である父親まで逃げてしまった状況の中で義兵を励まし、民心を治めた光海君はリーダーとしての資質を持った人物であり、戦争が終わった後も光海君は昌徳宮(チャンドックン)や慶熙宮(キョンヒグン)などの宮廷の修復にも力を注ぎました。
号牌法/『王になった男』実在モデル光海君の功績
2つ目は号牌法(朝鮮時代に導入された身分証明・戸籍制度)で、これも戦乱の収拾から始まった制度です。
戦争により全ての文書が燃やされ、奴隷と両班(ヤンバン:朝鮮時代の貴族)の区別がつかなくなった混乱の中、成人男性の数を把握し、税金を取り立てるために行った、現在で言うところの人口調査です。
現代にも通ずる調査である号牌法も光海君が実施したものでした。
東医宝鑑の編纂/『王になった男』実在モデル光海君の功績
3つ目は「東医宝鑑」(朝鮮時代の医書)の編纂(多くの文献をあつめ、それに基づいて、新しく記述した書物)です。
KBS(韓国放送)東医宝鑑 上巻 [ ピョ・マンソク/編著 ]当時は、王の死後に典医を殺す慣習がありました。
宣祖の典医はホジュンでしたが、宣祖の死後、典医を殺す慣習を取りやめてホジュンを生かした光海君は、結局「東医宝鑑」の編纂に影響を与えた人物でもあります。
でもこの『東医宝鑑』には、幽霊を見る方法や透明人間になる方法、龍を妊娠する方法など、でたらめなことが書かれているそうです。
少し読んでみたいですよね!
大同法/『王になった男』実在モデル光海君の功績
4つ目は光海君の最も偉大な業績である大同法です。
現代でいう所得税のような制度で、既存の制度は貧富の差を反映せずに税を取り立てていましたが、大同法は、裕福な人からは税を多く取り立て、そうでない人に対しては免除するような合理的な制度でした。
また、戸別に課していた特産物の代わりに、貨幣の機能を持つ米を納めさせました。
反対に、米作りが難しい地域の江原道(カンウォンド)では、米ではなく布地などを納めさせていました。柔軟に考えることの出来た光海君だということが分かりますね。
貨幣で納税/『王になった男』実在モデル光海君の功績
光海君は、黄海島(ファンへド)で貨幣で税を納めさせることを試験的に行いました。
三国時代以前から貨幣に関する記録は残っているものの、貨幣の流通は難しかったようですが、朝鮮時代後期の光海君8年(1616年)には、貨幣で税を納めさせたのです。
後にこれが資本主義経済の出発点となったことを見ると、光海君は、かなりの功績を残したと言えますね!
王になった男は実話?実在するモデルの驚くべき功績とは?まとめ
『王になった男』には、王イ・ソンとハソンが出てきます。
瓜二つの2人の物語はさすがに作り話ですが、現代への道筋を作った第15代王光海君がモデルでした。
今から歴史を振り返ると、国のために身内を殺したりなど暴君的な印象が強かった光海君ですが、その一方で数々の政治的功績を残していることが分かり、現在では再評価されています。
一体どの顔が本物なのか?それを想像しながら観るのも面白い気がします。
作り話ながら、当時を覗き見ることの出来る時代劇『王になった男』は見どころ満載ですよ!